会社の帰りのこと。
お囃子の太鼓の音が聞こえてきた。
会社は日本橋の奥にあるが、それでも今時分、不思議な時間に聞こえてくるものだなと、あたりを見回しても、どこに詰め所があるわけでも神楽が行われているわけでもない。
大通りに向かって歩いて行くと音はだんだん大きくなる。
けれど祭りらしいものは何もない。
角にさしかかったところでようやくわかった。
角の家で、誰かが練習をしているのだった。
繰り返されるリズム、盆踊りの光景がまぶたの奥に見えてくる。
と、そのお隣の家の窓ガラス。外向きに貼られたポスター。
『濱町音頭 盆踊り大会』
その日、会社から高円寺の家の近所の小学校にたどりつくと、Tシャツ姿の親に連れられた園児と思われるかわいらしい子供たちが幾人も、ゆかたや甚平を着ているのに遭遇した。そして、今度は小学校からもお囃子の音が聞こえてきた。予行演習でもあったのかな。
週末の夏祭りを告げる手作りのポスターが、小さなこの街の角や酒屋の入り口にも貼られている。
8月の最終週末、高円寺では、東京なのに、もう50年以上も続いている『阿波踊り』がある。昭和32年に、高円寺で町興しとしてはじまったこの祭りは、今では踊り手は5000人から1万人とも、2日間の観客数は100万人!にまで及ぶそうだ。小さな子供もおじいさんも、みんなこぞって踊り続けるあの姿。
いや、本当に実は日本人は踊りがうまいし神楽は最高だ。そう思うのだった。
ここには毎年、本場の徳島や、東京以外の街からも、連をつくって元気に踊りにきてくれる人たちがいる。その中に、あの福島県の南相馬市があった。
---例えば台湾の人たちは、震災直後の3月18日に、なんと20億円の寄付を募ってくれ、その後もその義援金は増え続け、今では総額200億円にも達しているそうだ。すべての人が相当の援助をしてくれないとこんな額には達しない。
あの練習の音が、私の中でいろんなことにつながった。
祭りというものが、昔から今まで私たちの心をつなげているひとつのあらわれであるかのように。気持ちは大きなエネルギーになる。
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