演奏の最後、オーケストラの音が静かに静かに消えてゆき、広いコンサートホールがシンと静まり返った時、指揮台の上の指揮者の顔をテレビカメラがアップで捉えていました。感極まり、顔をゆがめながらこぼれる涙を必死でこらえる指揮者の山田和樹氏。
そうだったんだ。その日、私はその公演をホールの客席で生で聴いていました。演奏が終わってシンと静まり返る中、指揮者が客席に背中を向けたまま、ジッと立って身動きしません。時が止まった様な静寂の時間が流れていきます。
……え?まだ?
………
それは30秒だったか1分だったか。とても長い時間でした。
……やっと指揮台の後ろの手摺に左手を回し、ややふら付くように客席の方に体を向けながら指揮台を下ります。次の瞬間、満場の拍手がホールを包みました。
第100回熊本交響楽団定期演奏会。その日はアマチュアの交響楽団として1965年に結成されてから50周年の節目に、ベルリン在住の世界的な指揮者、山田和樹氏を迎えての定期演奏会でした。熊響の定期演奏会では、これまで4回、タクトを振っているそうです。
先週、テレビでその演奏会の舞台裏を描いた『世界のヤマカズが愛したオーケストラ』というドキュメンタリー番組があったので観たら。
そうだったのか!
テレビの画面には、当日客席から観ていただけでは分からなかったことが次々に映し出されていました。
山田和樹氏の涙をこらえる顔もその一つ。客席から指揮者の背中を見ているだけでは分からなかった溢れる思いが、あの静寂の時間の中にあったのでした。
って、何だか本コラムの基本テーマ「an弾手ピアノネタ」とはかけ離れた話ですみません(笑)
実はこの番組で聞いた山田和樹氏の言葉の中に、我々シロウトピアニストでも音楽と付き合っていく時のヒントになりそうなことがたくさんあったので、自分の備忘録としてもぜひここに書いておきたいと思ってですね。
プロの交響楽団では、2〜3日の集中練習で本番に臨むそうです。しかし、アマチュアでは団員がそれぞれ他に仕事を持ち、時間のやりくりをしながら公演前は半年間の練習が続く。そこではみんなで一つの事を成し遂げようとする団員一人ひとりの熱い思いが集まり、本番に向けて高まっていく。
「プロは技術を売るが心は売らない。しかしアマチュアはそこに情熱を込める。それが音楽の原点ではないか」
「アマチュアは平日の夜の練習はなかなか全員が揃わない。だから一人ひとりが情熱を失ったら終り。でも情熱があればテクニックを越える世界に行ける」
「楽譜や指揮者に従うのではなく、熊響らしい音を出してほしい」
「アマチュアの交響楽団では、プロの様に全員の音がピッタリ合うのは難しい。でも、人間特有のズレと、それを瞬時にお互いが意識し支え合うところに味が出る。コンピュータの様な全くズレが無い音楽は味が無い」
……等々。
これって、アマチュアピアニストのピアノとの付き合い方にもそのまま当てはまるのでは〜?
“技術は完璧でなくても、そこに情熱を込める。それが音楽の原点では?”
“情熱があればテクニックを越えられる?”
“楽譜に従うのではなく、自分らしい音を出す?”
“コンピュータの様なピアノ演奏では味が無い?”
フムフム、そうなんだよね〜。
その日の演奏はマーラーの交響曲第9番。どちらかというと暗く思いを巡らすような雰囲気が延々90分。山田和樹氏はそのテレビ番組でこう語っていました。
「100回記念という事で明るく華やかな曲でもよかったが、あえてこの曲を選びました。この曲のテーマである死生観、死は永遠とつながっている、そして魂はまた生まれ変わる。100回公演の節目に熊響をもう一度見直し、未来を予感させるものにしたかった」と。
そして
「私は今まで指揮をしながら泣いたことはない。今日、初めてです」
『楽譜にただ従うのではなく、その曲にどんな思いを込めるのか』
世界的な指揮者の言葉とシロウトおじさんのピアノとをくっ付けるのは何とも恐れ多い気もしますが。
自分の思いを涙に込められるようなピアノが弾けたら、と思います。
(続く→原則毎週火曜日更新)
an弾手(andante)
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